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■読まれる「イントラネット社内報」のつくり方
   
 
筆者: 馬渕毅彦
初出: 『編集者手帳・2001年9月号』(社団法人日本経営協会)。原題:「志」をつたえているか〜開かれないネット、読まれない社内誌を打開する方法(特集:活字&電子の実用コンビネーション術)
掲載: 2001年10月5日
 
 
  『Ever Onward〜追想 西川政一』。この本は、1968年に日商(株)と岩井産業(株)を合併させ、日商岩井(株)の初代社長となった西川政一氏の追悼集。私が入社10年目の1988年に編纂をした本である。
  1964年の東京オリンピック。大松監督率いる女子バレーボールが優勝したとき、"東洋の魔女"たちの首に金メダルを掛けた人、それが当時日商の社長で、日本バレーボール協会の会長でもあった故西川政一氏である。
  西川氏の追悼集編纂の仕事を命じられたとき、正直、私は憂鬱だった。「あの、お決まりの文句がずらずら並んだ追悼文をたくさん集めるのか…」と。
  ところが、である。私の予想は見事に外れた。集まった100余編の追悼文に書かれた言葉。そこには、どれにも魂が宿っていた。西川氏への深い追慕の念が溢れていた。原稿整理の作業をしながら、私は何度、目頭を押さえたことか…。
  西川氏には「志」があった。自分は日商の社長として、何千人もの社員とその家族の人生を背負っている。自分の使命は、この人たちをもっともっと幸せにすることだ。そのためには、会社をもっと成長させる必要がある。だから自分は、岩井産業との合併という大事業に挑戦する。社員と家族の幸せのために。決して失敗は許されない…。
  当時33歳だった私は、まだ経営のケの字も知らない立場にあったが、西川氏のこうした言葉に、「経営」というものの神髄を見る思いがした。「そうか。会社の経営を行なうというのは、そういうことだったのか」。
 
■「誌」とは「言葉の志」
 
  本題に入ろう。「開かれないネット、読まれない社内誌を打開する方法」である。
  私は、このテーマを「志(こころざし)」をキーワードに考えてみたい。どうも、ここら辺りに電子媒体が乗り超えるべき課題が潜んでいそうな気がするからである。
  社内誌の「誌」は「言偏に志」と書く。誌とは「志」に基づいて発行すべきもの、ということである。世に言う「発行目的」がそれだが、意外にこの「発行目的=志」が忘れられ、「発行することが目的」となっているのが実態ではなかろうか。
  さて、ではその社内誌を発行するに当っての「志」とは誰がどのように考え、持つべきものなのか?
  社内誌編集者は、もちろんこれを持たねばならない。だが間違っていけないのは、それは社内誌編集者が勝手に考え、勝手に持つものでは決してない、ということである。
社内誌はあくまでも経営のツールだ。経営者が自らの志に基づいて経営を行なうに当り、その実現をサポートする手段のひとつとして活用するのが社内誌である。
  だから社内誌の志の、その原点は経営者にある。つまり社内誌とは、経営者の志を伝えるメディアであり、社内誌編集者はそれを社員の立場に立って翻訳し、伝える人なのである。
  ヒトには夢や目標が必要だ。ヒトは夢や目標を食べながら生きる動物である。それも一人で、ではない。家族とか仲間とか会社とか、組織や集団を通じて夢を食べる社会的動物なのである。
だからヒトは、組織や集団のなかで最もチカラを発揮する。そして、そのチカラが最大化するのは、組織や集団が、夢や目標を「共有」するときである。
整理をしよう。ヒトが会社で、幸せな気分で働くためには――。
  まず経営者が「志」をもって経営に当る。その志は、私利私欲を追うものであってはならない。どうしたら社員や家族を幸せにできるか、社業を通じて世の中のお役に立てるかという気持ち(と、そこから発想したビジネスプラン)が大切だ。そして社内誌編集者は、経営者のこの志を社員に伝え、それによって夢や目標を組織全体で共有する、ということである。
  ここら辺りの感覚を、福西(ナナ・コーポレート・コミュニケーション代表取締役)さんは、本誌8月号において「社員愛情報」という言葉で語っている。
  いわく「こういういい方をすると、ちょっと鼻につくかもしれないが、社内誌は、会社への愛情、社員(従業員)への愛情がなければやっていられない。ロイヤリティとか愛社心、一体感という言葉は、いまや死語に近いといわれる。ほんとうにそうだろうか。それでいいのであろうか」と。
  まったく同感だ。私も愛社心というクサイ言葉が大好きだ。ヒトはクサイ言葉が好きなのである。
  いまでも毎週350万部超を発行する少年コミック誌の雄『少年ジャンプ』。そこで採用される作品は、「友情」「勝利」「努力」のいずれかをテーマにしているという。ディズニーランドのテーマは「愛と冒険とファンタジー」。世界中で愛されるハリウッド映画も、結局のところはこれらと同様のテーマを、あれやこれやの状況設定で繰り返しているものなのである。
 
■「定期発行型」と「随時更新型」
  本題に入るつもりが、またまた外堀を巡ってしまった。本稿のテーマは「開かれないネット、読まれない社内誌を打開する方法」である。
  この問題を考えるに当り、私はまず社内誌の簡単な「分類」を行なってみた。
  ひとつは「印刷系社内誌」。これについて、ここではこれ以上の細分化はしない。そして、もうひとつが「イントラネット系(社内誌)」。このカテゴリーのものに「社内誌」という言葉を付けることの是非は難しいところなので、ひとまず( )で括っておこう。
  「イントラネット系」は2つに分けて考える必要がある。「定期発行型」と「随時更新型」の2つである(ここでの分析対象はホームページ系のプル型メディアであり、メルマガ系のプッシュ型メディアは含んでいない)。
  「定期発行型」は、印刷系社内誌を電子メディアに置き換えたようなもの。擬似的印刷系社内誌と言えるかもしれない。それに対して「随時更新型」は、いわゆるホームページ的なもので、サイト内のあちこちのページが随時に更新されるもの、と定義できよう。
  筆者の会社では、日商岩井グループの社内誌(印刷と電子)を制作しているので、そのケースで説明すると――。
  『NI GROUP LIFE』は月刊の印刷社内誌。永年日商岩井(株)の社内誌として発行されてきた『NI LIFE』を、2000年4月からグループ誌に衣更えした。しかしまだ過渡的な段階で、本社発信情報の比重は高い。
  もうひとつは『eLIFE』。こちらは、イントラネットの社内情報ポータルサイト『コペルニクス』上のひとつのコンテンツとして、月2回発行されている。イントラネット上に置かれた新聞のようなもので、上記の分類に従えば「定期発行型」となる。
  さて、「開かれないネット」の問題である。 結論から言おう。開かれないネットには「志」が欠けているのである。
  いわゆる伝統的な印刷系社内誌は、演出者としての社内誌編集者が、さまざまな企画、さまざまな表現手段で「志」を表現できた。ところがネット、とりわけ随時発行型の電子メディアでは誌面(?)の大部分が無味乾燥な「事実情報」に占拠される。そこには経営者の志も、社員の汗や涙やため息もない。人間の体温が伝わってこないのである。
  『eLIFE』のような定期発行型の疑似的新聞ではこの点、印刷系に遜色はない。いやむしろ表現媒体そのものとしては、カラー画像やリンク設定の活用など、印刷系以上に志を表現できる媒体とも言える。問題は印刷物というモノが持つ存在感と、それがある日、同日に社員みんなに配られるという、その演出効果で劣る点だ。電子メディアはいつでも見られる。だから「発行」という出来事が持つインパクトに欠けがちだ。
  社内誌は給料日に発行するという会社がある。社内誌が社員にとって何がしかの「意味ある日」に配られるという、その演出効果の意味は大きい。社内誌とは「志の共有化を志す」もの。だからどうせ配るなら、その効果を最も高めるシチュエーションで配られるのが望ましい。
  小泉首相は8月15日の靖国参拝にこだわった。なぜか。それは小泉首相の「志」を内外に伝えるためには、8月15日というシンボリックな日に参拝を行なうのが最も効果的だからである。
  話が横道にそれて恐縮だが、靖国神社はメディアである。メッセージを広く伝播するためのヴィークルをメディアと定義すれば、靖国神社は強力な情報発信力を備えたメディアだといえる。そしてそのメディアは8月15日に発行されることにより、情報発信力がさらに増幅されるのである。
  小泉首相は日本国を経営する経営者だ。西川氏が日商の社長として、社員と家族の幸せを願って会社の成長に尽くしたように、小泉氏は日本国の経営者として、国民の幸せと日本の成長を願っている。
  だからこそ幾多の抵抗勢力と立ち向かいながらも、断固として構造改革を成し遂げようとしているのであり、その「志」に多くの国民が共感と支持を寄せているのである。
 
■活字と電子の使い分け
 
 " 印刷系とイントラネット系を、メディアとしてどう使い分けたらいいのか? という質問をよく受ける。
  われわれの現場では、この点で迷うことはほとんどない。記事ネタに接するとほとんど反射的に、これは『NI GROUP LIFE』これは『eLIFE』と振り分けている。
  2つの媒体の違いは、いわば「雑誌」と「新聞」の違いと考えると分かりやすい。
  雑誌と新聞の違いは何か。それは制作プロセスの違いである。雑誌の場合は、まずは「企画」を考える。そしてその企画に基づいて取材を行ない記事を書く。一方新聞の場合は、はじめに「情報」があり、それをベースに記事を書く。新聞社の部長が「来週月曜の1面トップは何の記事にしようか」と悩むことはない。
  イントラ系メディアの特徴は、誌面スペースに物理的制約がほとんどないこと。気ままに飛び込んでくる記事ネタに、臨機応変に対応できる。だからイントラはニュース系の記事を扱うのに適している。言うまでもなく、スピードの面でもニュースに適している。
  だから日商岩井では、『NI GROUP LIFE』では「企画系」の記事を、『eLIFE』では「ニュース・出来事系」の記事を扱うことになっている。
  事実情報を伝達する手段として、電子メディアが優れた「性能」を有していることは論を待たない。だから今後、社内コミュニケーション手段として電子メディアが隆盛していくであろうことは間違いない。問題は、電子メディア上のメッセージに、いかにして「志」を持たせるか、である。
われわれの現場では「日商岩井グループを元気にする」という志のもとに『NI GROUP LIFE』『eLIFE』を制作している。そこで例えば『eLIFE』では、「ニュースなフェース」というコーナーを設けている。
このコーナーは、もともとはいわゆる「新聞記事クリッピング」を掲載していたコーナーだったが、新聞記事という事実情報だけでは現場の体温が伝わらない。そこで、新聞記事を紹介するとともに、その仕事に携わってる人の生の声をインタビューして載せている。事実情報に人間臭さを加えた一例だ。
定期発行型メディアでは上記のような表現手法をいろいろ採れるが、随時更新型メディアの主体となる、まったくの事実情報の場合はどうか。志を表現するのは不可能なのか?
答は「ノー」。いや、むしろ事実情報は非常に雄弁に志を語りうるハズのものだと思う。 なぜならば事実情報は本来、経営のビジョンという志のもとに行なわれる、さまざまな企業活動にともなって発生するもの。だから本来、その事実のなかに志を「内包」しているハズである。
  組織変更を例に考えてみよう。
  @「10月1日付の組織変更は、次のとおりです。ズラズラズラ…」。この手の記載は最も味気ない。
  Aもう少し味付けをして「10月1日付の組織変更とその背景は次のとおりです。ズラズラズラ…」。こうすると、事実情報の羅列ではあっても少し「志」が見えてくる。
  Bさらに高度な味付けをして「10月1日付の組織変更は次のとおりです。今回の組織変更のねらいを社長に聞きました。こちらから動画をご覧いただけます」。
   今日のネットワーク環境では、なかなかBまでは無理かもしれない。が、イントラネット系社内誌の近未来の姿は、このような方向なのかもしれない。
  現実的には@ないしはAの形を採ることになるのだろうが、たとえ@であれ、その事実に経営の志が「内包」されていることに違いはない。
   この内包された志を、随時更新型のようなメディアではどう表現できるのか。
  Aのような表現が採れる場合は、個々のコンテンツにおいて、それらの事実が経営ビジョン=志のなかでどう位置づけられるものなのか、の表現に努める。
  @のような表現しか採れない場合は、経営戦略におけるその媒体自体あるいは媒体内のページの意味づけを、社員にクリアに説明しておく必要がある。「当社では、これこれの意図をもって、イントラネット上にこれこれの情報を掲載していきます」という説明の徹底である。事実情報に内在する志は、こうした位置づけの明確化によってチカラを得ることになる。
  また、活字系社内誌あるいはその他の手段との組合せによって、こうした説明=志の伝達を行なっていくことも大切であろう。
企業活動は、最後には損益計算書、貸借対照表というきわめて無味乾燥な(?)数字となって表現される。しかしながら、この数字のなかこそ役職員のたくさんの汗や涙や喜びは集約されている。志のありようが反映されている
一見、無味乾燥のように見える事実のなかにも、共に働くことの喜びを見いだすことのできる、そんな編集者になれればと思う。
   
 
 
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